PHENIX資料                           

実写です。 

PHENIX MC50mmF1.7  F11 AE 使用カメラは PENTAX IstDS2(サイズのみ変更他はデフォルト)

同条件で YASHICA ヤシノンDX55mm F1,7

同条件でPHENIX24mmを使用

■PHENIXの一眼レフ開発について以下記述しました(拙文です)。

不明確な部分もあると思います、したがってこの文章をそのまま転載する事は
おやめください。概ね内容は中国側の資料に基づくと同時に個人的な見解も少しだけ
加えています。 朝日ソノラマから陸田三郎氏による中国クラッシックカメラについての単行本が
発売されています。中国製カメラの歴史に興味のある方はお求めになると良いと思います。

1978年 人民政府は建国30年を記念する産品として、新鋭カメラの設計・開発を
上海・江西・常州・ハルピン・蘇州等の光学工場に指示しました。
此れは、中国国産カメラの世代交代を図る国家的事業である事を意味します。
結果、1981年までに5タイプ10種?のカメラ開発が完了しています。

その成果は
コニカC35やCANON QL−17を研究し結果としてKONICA C35FDを模し江西(現PHENIX)等で
製造されたJG301系列。
JG302はアグファオプティマ535を研究し結果として 青島カメラ工場から製品化された。
一眼レフはチノンCM-4やPENTAX MEを研究した成果として1984年JG303が開発された、しかしJG303の型番
で製品化されたカメラは無い。但し1985年に製作された華夏851型一眼レフ等はこの成果で有る可能性
もあり得る。その他にピッカリコニカC35EFを研究したJG304系列やJG305(不明)が開発され製品化された。

江西(PHENIX)は共同研究したJG303直系の製品化はせず、京セラ(YASHICA)FX-3を母体としたDC303を
リリースしました。
1985年 人民政府が中国で言うところの技貿結合方式(バーター取引と理解)によって京セラと
PHENIXを引き合わせ数万台(アバウトな数字ですね)のYASHICA FX−3SUPER導入と生産ラインと技術導入がなされたと言われています。その後、技術の習得に努め(苦労したとの記述を見た事が有る)1991年にPHENIX
の最初の一眼レフDC303(Y/C)が発売となりました。
FX−3SUPER導入が完成品を購入し中国で販売したのかしたのか、組み立てを受託したのか、判然としませんが
生産ラインと技術を導入とあるので、何らかの形で生産に関与したと思われます。
中国の研究者によるカメラ製造年表には鳳凰FX-3の記述もありました。

DC303はFX-3superとは異なり、その後発売されたYASHICA FX-3super2000に近い仕様の1/2000
シャッターを搭載しています。

PHENIX DCシリーズの一眼レフはコシナの一眼レフのOEM機、模倣機とされることが良くあります、
コシナの名は中国側の歴史資料には表出しません。(確かに似ているがPHENIXとコシナはダイキャスト
や機構も異なっています、但し一部共通部品や共通設計も完全に無いともいえない。リコーが本家
との説も見た事があります。ややこしいですね)
 
さて、京セラはカメラの国内製造を止めてしまいましたが、YASHICA HK(HK=香港)と言うカメラ・光学関連会社を
依然として保有しています。YASHICA ブランドはアシアで著名でありPHENIXとの関係も継続していると
聞いています。

間違いや補足等がありましたら、具体的にお教えください。        2006.4

■PHENIX MC24mm

PHENIX24mmF2.8 7群8枚構成

DC303N系列取扱説明書(抜粋)・・お届けする商品に同梱される説明書と異なる場合があります。


DC303N系列の内部構造図です。

◎ PHENIXでもデジタルカメラの商売をしています。これは最新鋭機・最高級品SX410Zでして400万画素機です。台湾某社と同じ顔をしています。基幹部品は日本製との事です。数がまとまれば私どもでも扱い可能ですが・・値段ですか?部品が日本製なので極端にはお安くなりませんねぇ。おいくらだったらお買い求めになりますか?(H.14.7.19)